お母さんという役割と尊厳
最近Twitterで炎上したという「お母さんの歌」
炎上されてるコメントなどは直接はみてないのだけど、
FBやブログで書かれてる方の記事をよみ、その歌詞も読みました。
そして私の中に出てきた思い。どうしても書きたいと思った思いです。
(今回はお母さんということを伝えたいので、お父さんについては出てきません。ごめんなさい)
私個人で言えば、歌詞の内容はめちゃくちゃ共感します。
ただお母さんという人、今の条件状況、環境、その関係性、
子供が一人、二人、三人・・その子供たちとどんな関係なのかで、
100人いれば100通りの感じ方ありますよね。
観方によって、批判的な意見を投げた人の気持ちも、わかります。
目に入ってくる、耳に入ってくる部分だけ(言葉)をとって、感情、考えが動く。
それをこのネットという道具があるがゆえに、一人の思いが思ってもない方向へ行くのかなって・・それもなんとなく、共有共感よりも、対抗する共有共感の方が強くなってしまうのが、なんか悲しいな・・・と思ってしまいました。
そして、私がこのニュースを知って、言いたいな・・と思ったのはこの歌の歌詞がどうのこうのとかではなくて、根本の問題は「観点の問題」と「人間の尊厳」「お母さんというポジションの明確化と尊厳」ということです。
その中で今一番言いたいことが「お母さんというポジションの明確化と尊厳」
この現実に存在しているということは、誰でもが役割をもっていると思います。
そしてお母さんというのもその一つの役割です。
役割をこなすということはその他の役割の人と関係を作ることでもあると思います。
全くの一人でこの現実に生まれ来た人はいませんよね。
そしてお母さんと子供の関係は何よりも深いし、強いものだと思うんです。
母になるまでは自分一人の意識の中で選択できることが多かったと思います。
そして一日のうち一人の意識になれる時間も多かった。
けれど、お母さんになったら、もう一つの子どもんお意識と常に向かいあうんですよね。
朝から晩まで、寝ていても。
その意識と意識の出会いってすごいエネルギー使うし、最初は慣れてないから大変だし、
時には逃げ出したくなることもある。
けれど、体ははなれていようが、意識はずっとくっついているのです。
子供が増えれば、そのくっつく意識が多くなる。
「私が・・・」という我がある中で、育ってきている今の時代は
その我があるために、実は無意識の部分では結構カオスで大変ことになっているのではないかと思います。
お母さんに限らず、人間「我」があるから大変になりがちですけど、その子供との密着度合いが半端ないので、自分でも気づかない葛藤やら、怒りやら、困惑さ、不安も生まれます。
その反面、愛おしさ、生きがい、モチベーション、安らぎなども生まれます。
なんにしても常にフル回転になりがちで、めちゃくちゃエネルギーを使ってるんです。
「お母さん」という役割をする人がいなかったら、この地球に人間はいないのだから
すごいですよね。すごい尊厳あるポジションだと思うのです。主役といってもいいくらい。
なのに、「お母さん」という役割が何かを明確に教育される場もないまま、
なんかあたりまえのように、「お母さんになる」と思い込まされてきたようで、
それがすごくもったいないと思うんです。
本当のお母さんの役割はどもを産み、子どもを成長させることだけではないです。
子どもを第2の誕生をさせること。この現実の外、観術では「宇宙の外」といいますが、そこまで出してあげることができるんです。
それってどういうこと?
人間が尊厳そのもの、愛そのものになるということです。悟っちゃうんです。
子どもの前にお母さん自身がその第2の誕生をすることが必要です。
そしてこれはお母さんという役割の人だけではなく、いろんな役割の人が第2の誕生はできるので、そうすると、実のお母さんでない人もお母さんの心になれて、周り全部が心のお母さんと、誰でもが心のお母さんという、安心、素敵な場ができるのです。
第2の誕生をした人は心が愛そのものなれるのです。
そしたら、どんな出会いも楽しめるよになるので、
例えば今回のようなTwitterで炎上なんてなくなります。
ディベートなような形になるかも。
(逆に愛の炎上はいっぱいになるかも)
こちらのブログ、ぜひ読んでみたください。
このお母さんの役割を知って、私はお母さんでいることが楽になりました。
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